ゆきのおと

君の暇つぶしにでもなればいいな

地震のこと (再掲)

 

熊本地震が発生した一年前、

私はたまたま熊本市内にいました。

熊本には彼の実家があります。

 

二度の大きな地震は本当に怖かった。

特に二度目の本震と呼ばれる地震

恐怖と言うより絶望に近かった。

今でもニュースなんかで地震を観ると

心がぐらぐらと揺れます。

 

という訳で地震の話。

 

ほんとはこのブログでこんなこと

書きたくなんてなかったけど、

朝から色々あって感情が乱れてしまい

書かずにはおれず今に至ります。

 

書きたいことがある訳ではなく

書かずにはいられないだけなので、

順番気にせず思い付いたことから

書いていくことにします。

特に伝えたいことがある訳でもないです。

どんな地震だったかとかそんなのは

私なんかのへっぽこブログよりも

もっと正確なものを読んでください。

私は私の小さな体験談を書きます。

 

地震関連はちょっと…

って方は出来れば読まないでほしい。

フォロワーさんもチャレフレさんも

気を使ってくれなくていいからね。

 

 

 

熊本地震で真っ先に思い出すのは

彼のお母さんの涙です。

 

水を貰うために二人で並んでるとき

お母さんが急に

ごめんね、ごめんなさい。

って泣き崩れてしまいました。

お母さんが悪いわけじゃないのに。

いっつもにこにこ笑ってくれる

本当に優しいお母さんが、

せっかく来てくれたのに

ごめんなさいごめんなさい。って。

 

私もぼろぼろ泣いてしまった…。

今になって思うとそれくらいみんな

メンタルやられてたんだと思います。

その時の涙はいまだにふと頭を過ります。

 

後で聞いた話だけど

阿蘇水前寺公園などの観光地や

美味しい名物のお店とか

私のこと連れてってくれるって

色んな計画たててくれてたみたい。

後日その話になった時

恥ずかしーねー!って笑ってくれて、

あ、前に進むっていうのは

きっとこういうことなんだ!

ってちょっと感動したりなんかして。

 

他にすごく覚えているのは

本震の後、車中で迎えた朝です。

一番絶望が深かった時間。

非現実的な光景と暗闇、

パトカーのサイレンと

ずっと上空でうるさいヘリの音。

 

絶え間なく揺れ続ける恐怖は

まるで地球がすごく怒ってて

まだまだ終わせないぞ!って感じで

一分一分がそれはもう何時間かの様に

果てしなく長く感じました。

 

そんな中、少しでも情報を得ようと

Twitterを開いていたのですが、

フォロワーの皆様に本当に励まされました。

特にそれでも世界が続くならの

しのさんから貰った沢山のメッセージは

何度も何度も読み返しては泣いて

救われたって言葉じゃ足りないくらい

その時の私を守ってくれました。

大袈裟かな?(笑)

 

しのさんは「何も出来ない」って

すごく悔しそうだったけど、

何も出来ないとかそんなことない。

繋がってるだけで充分だった。

私は臆病だから、そんな時現地の人に

メッセージを送ったりなんて

きっと出来ないって思います。

しのさんは本当に優しくて強い人。

音楽でも言葉でも、

もう何度救われたか分からないけど

だけどこの日だけは特別だった。

 

ちなみにさっきの

繋がってるだけで充分だった

っていう想いですが、

これって地震関係なく

絶望の淵にいる人の大半が

きっと同じなんじゃないかなって

あの日以降そう思うようになりました。

分かんないけどね。

あくまで個人の主観です。(笑)

いつか誰かに返せたらいいな。

 

でね、だけどね、長い夜が明けて

光が射し始めて朝になると

ものすごく安心できたんです。

あぁ、やっと夜が終わった。って。

あの日ぼろぼろ泣きながら見た朝日は

多分一生忘れないと思います。

 

しのさんがくれた、

大丈夫 終わらないことなんてない

って言葉が表現するのにちょうどかな。

 

それ以外は物資集めに駆け回ったり、

お風呂にはいるために

車で三時間も費やしたり、

何かもうばたばたしてたので

あまりちゃんとは覚えてません。

それどころかお母さんがあれもこれも

笑い話に変えてしまうから

何かだか少しだけ、少しだけだけど

貴重な体験をした感覚すらあります。

不謹慎かなぁ。(苦笑)

 

結局私なんて数日後には東京に帰って

何不自由ない生活を送ったりしてたから

その後の本当の苦労を知りません。

ただ直接的に被災した経験があるだけ。

 

だけど、そんな私ですら

私を取り巻く環境は

一年で大きく変わりました。

 

理由は割愛しますが、結婚は延期。

延期どころか遠距離になりました。

月に一回会えるかどうかですが

まぁ仲良くはやってます、多分w

 

私は東京から熊本支援はじめました。

非力だけどね。蟻んこくらいの支援。

それでも、

それももうすぐ一年かぁなんて思うと、

何だかちょっと感慨深いものがあります。

ちゃんと続いてるってことがね。

 

あと地方の公共のデザイン関連の

お仕事が一気に増えたのも

今になって思うと地震が機です。

少しでもその経験を活かせたらって

インテリアと災害の関係性について

嫌でも意識するようになりました。

3.11の時はまだ学生だったからね。

 

熊本にたくさんお友達もできました。

あとどうでもいい話ですが

ゲーマーになりました。←関係ないw

 

 

 

冒頭で感情が乱れたと書きましたが

おかしくなった訳ではないし

落ち込んでる訳でもない。

厨二ネガティブも発動してません。

 

この日記は一年間のメモです。

私から私への手紙です。

だからまぁ、ふーん。くらいの感じで

読み流してくれたらと思います。

 

 

 

最後にひとつだけ。

ほとんど報道されてないみたいだけど

ここ数日また熊本で

何度も地震が発生してるって。

怖いね。

みんな忘れかかってると思うけど

身の回りの防災グッズ、

もう一回ちゃんとチェックしてね。

 

 

 

新幹線はいま徳山あたり。

あと二時間くらいで熊本だー。

 

 

2017年4月14日

「泣き虫てんぐの3倍パンチ」より再掲

再掲リクエスト、ありがとうございます